サラリーマンという病⑥/世界の中でのラットレース
サラリーマン投資家のた~とるです。
サラリーマンとしての虚しさを病と称して書いています。
第6回です。
前回、東南アジアの上級管理職の給料が日本を超えていることを書きました。
現在ではインフレ、物価高、円安といったニュースが頻出しているので、日本のモノの安さが改めて浮き彫りになった感があります。そのような中で急激に給料水準が追いつかれたような感覚に陥りがちですが、もともと、物価にそこまで大きな差があったか?というのが僕の疑問です。
10年程前に、アジアの大都市部に何度か行きましたが、当時ですら日本との物価差をそこまで大きくは感じませんでした。明らかに安いのはミネラルウォーターくらい。ドラッグストアに置いてある日用品も、日本より安いとはいえ半額まではいきません。コンビニにある輸入品のお菓子などは日本より普通に高かった。外食も、屋台のようなリーズナブルなところは別として、ちょっと気取ったレストランでは価格に大差はありませんでした。
ここで懸念しているのは、世界規模のラットレースです。
ラットレースという概念は、ロバート・キヨサキ氏の著書「金持ち父さん 貧乏父さん」に記されています。ラットが回し車を延々とグルグル回し続けることのように、「給料→支払→給料→支払…」という循環のために、終わりない労働に明け暮れる人生を揶揄したものです。
ひと昔前は、日本の生活水準で経済的自由を達成できれば、ラットレースからは抜け出せたんだと思います。退職したら物価の安いベトナムやマレーシアやタイで悠々自適なんてことは、いろいろな媒体で見ることがありました。現在でも、大きな図書館に行けば、低コストの海外生活ノウハウを紹介する古い本が置いてあることかと思います。
ところが、海外の国に1人当たり所得が追い付かれてくると状況が変わってきます。日本で経済的自立が達成できても、世界レベルで見たときにはちょっと貯金や資産がある普通の人になってしまいます。海外で悠々自適生活とはいかず、労働収入が無いと生活できない状況になるかもしれません。世界の中でのラットレースからは抜け出せません。
ではそのまま日本で悠々自適で暮らせばいいかと言えば、そう簡単にはいきません。
日本の少子高齢化はますます加速していき、人類史でも類を見ない超少子高齢社会へと突入していきます。社会保障費や税金はもっと上がり、年金も現行水準は保てません。1年や2年では実感がないですが、10年20年単位で考えると生活水準がこれから悪化していくことは確実だと思います。
そのような状況でも、海外のサラリーマンの給料は上がっていくでしょう。日本の会社にしがみついていると、さらに相対的に貧乏になっていくことが予想されます。
自分が世界の中でどのような位置にいるのか、どのような生活なら継続していけるのか。様々な要素が混ざり合って完璧に先を見通すことは不可能ですが、自分と家族のための資産形成をして備えをしなければならないと考えています。
続きます。