投資脳と非投資脳では人生観が合わないことになる
こんにちは、サラリーマン投資家のた~とるです。
投資やマネーについて、情報収集でブログやYoutubeを見たりしています。
なんとなく思っていたことがあるので、備忘録を記したいと思います。
これまでなんとなく感じていたのは、金融リテラシーや投資脳を持っている人の思考は大体似通ってくるということです。
様々な経済系メディアの記事や個人ブログなどを見させていただくと、筆者の方がどのようなマネー感を持っているかは分かります。
そして、一定以上のリテラシーや投資脳を持っている方の思考には、以下のような共通項があるように思います。
・収入を複数化することに興味がある、または実践中
・勤務先の会社だけが人生の全てだと思っていない
・興味のあることには財布のひもが緩むが、関心外のことに無駄金を出さない
・リテラシーを身につける過程で学んだ書籍などが一緒
・投資の情報収集を怠らない
・投資の話を誰かと共有したい
・自分の人生をよくするために主体的に考えている
投資、消費、ライフスタイル、思考…ある程度似通っているんですよ。
おそらく、背景にある知識や経験、勉強ネタの材料などが共通しているので、思考やマインドが近しくなってくるのかなと。
そして、投資マインドを備えている人は人生の目標に向かって行動できる。
投資マインドが無い人は、日々会社に出向いて定年まで過ごすことが人生になってしまっている。
人生に対する主体性といったものが根本的に違ってくるのかなと思います。
そのため、僕の主観的な経験からですが、金融リテラシーや投資マインドの有無によって、他人との会話で違和感を覚えることが頻出しています。
ここ最近、友人や職場の同僚と積極的に飲みに行ってるんですが、特に職場の同僚はリテラシーが低く、マネー観に対しては思考停止しかありません。
働く理由ってなんなんだろうという話になると、以下のような反応が返ってきます。
・働かないとボケそうだから
・働きたくないけどお金がないと生活できないでしょ
投資や副業ってどうなんだろうという話になると、以下のような反応が返ってきます。
・どうせ俺たちは本業外では何もできないでしょ
・会社で上司に言われたことやるしかないでしょ。上司は俺より馬鹿だけど。
・兄弟が副業やって儲けてる。私は全くそういうの関心ないけど。
・株?博打でしょ(笑)
こういう反応になりがちなんですよね。
働かなくなってボケるんなら、いずれにせよ定年後にボケるだけだと思うんですがね。
マネー観が思考停止すると、仕事観や人生観も思考停止してくるような気がします。
定年まで勤めることと主体的な人生を送ることはイコールではないはずなんですが…
そういった背景もあって、金融リテラシーの無い人と話をしても面白くないなと思うことが増えてきています。
僕だけでなく、投資慣れした友人も同様に、周囲の金融リテラシーの低さで話がつまらなく感じているようです。
投資マインドが身に付くと、マネーの心配をしなくていい人生に向かって勉強と行動をしていけますが、世の多数派との会話がちょっとつまらないなと思う瞬間もあります。それも、結構な高頻度で。
自分がマイノリティであり、社会の本流とは違う人生観を持っている感覚になります。
主体的に生きるって、そういうことなんでしょうかねえ。
以上、た~とるでした。